大切なものをたいせつに

北極海航海に2度いくほど海が好き。 疑問に思ったことは自分の目で見て感じて確かめたい、と17歳でイギリスに1年間滞在、その後、北極海研究船に2度乗船する。メーカー勤務、大学勤務の中でその場で「話の見える化」を行うグラフィックファシリテーションと出会う。会議、ワークショップ、講演会、教育現場等、これまでに500以上のの現場に携わる。発達凸凹への活用を中心として、組織開発や教育現場での活用法を探求している。 https://www.tagayasulab.com/graphicfacilitation

ブログはじめます。

どうやら、人が話すことは、すべてその人のフィルターを通っているらしい。

だったら

自分の目でみて、自分で聴いて、自分で感じて、確かめたい。

 

いつからか

「今しかできない経験をとことんしよう」

と考えるようになりました。

 

 

夏休みの研究に、

山を登ってシダ植物を集めたり、

朝から晩まで蝶をおいかけて標本をつくったり、

目を輝かせて、蛇の抜け殻を収集するような、

未知の世界にあこがれる、好奇心あふれるこどもでした。

 

高校受験のとき、義務教育でもないのに進学することに納得がいかず

「なんで、高校に行かなければいけないのか。行きたくない。」

といって、母親を困らせました。

 

なんとか高校に行く魅力を伝えようと、母親がもってきた餌のひとつに

高校生しかいけない交換留学の話がありました。

「高校生にならないといけないことがあるのなら」

と、無事、おとなしく受験勉強に励むようになりました。

 

17歳で過ごした1年間のイギリス生活は

自分がいかに小さな価値観の中で生きてきたかを目の当たりにしました。

 

留学早々、下級生にアジア人といってガムをとばされました。

アジア人ということだけで、理不尽な扱いを受けました。

子どもたちは、正直な分、残酷でした。

 

確かに、大人になってからの留学では経験できない

17歳の留学だからこその経験が盛りだくさんでした。

 

はじめのうちは怖くてトイレで昼休みを過ごすこともしばしば。

一人でお昼ごはんを食べるのがさみしくて

ご飯をたべない日もありました。

 

でも、そんなかっこ悪くて、何も持たない外国人にも、

声をかけてくれる人がいて。

何も持たない人間を、当たり前のように仲間に迎え入れられる彼女たちは

何者なんだろう・・・

日本にいると、女子グループみたいなものがあって

あの子は一緒にいると楽しいとか、この子は一緒にいたら得するとか・・・

そんなことが当たり前に起こる社会ですごしてきた私は

闇の中から救い上げられたこの瞬間から、すこしずつ価値観が変わってきました。

 

17才のとき。

やさしさの温かさ

常識は、これまでの自分のちっぽけな経験が作り出したものでしかないこと

価値観は多様極まりなく、

どんな人間になるかは自分次第なんだということ

を学びました。

 

自分を大切にしてくれる人がいることで

「がんばらなきゃ」という気持ちが何倍にもなって

イギリスに滞在中

各地の学校を巡って、日本の紹介や日本舞踊を踊らせてもらったり

現地のミュージカルダンサー のオーディションに挑戦して

メインダンサーをしたり

現地の人を招待した、日本食パーティを何回も開きました。

 

そして、自分の味方でいてくれる人がいるだけで

どんな過酷な状況であっても、自分次第で這い上がれるんだということを学びました。

 

その当時、デジタルカメラも普及していない時代で

メールもほとんど使えない、

スーツケースには、分厚い紙の辞書を入れて向かった海外。

英語に慣れるために、日本語での電話禁止。

ほとんど日本の家族や友人たちとも連絡がとれなかったけれど

「会えなくても応援してくれている。」そう思える人の存在も大きかった。

1年は、あっという間なようで、いろんな発見や辛さ、楽しさを感じるのに十分な時間がありました。

 

 

大学では、海洋の9割が未知の世界と知り、

調査船でしか行けない北極海に行く未知の世界に足を踏み入れます。

結局、2か月北極航海に、2度乗船しました。

 

人と関わらなくても働けるように、と

試験管をふる道へと化学に進んだはずが、

長期航海の共同生活の中で、

個性的な研究者やぶっとんだ同級生と過ごす中で

いつのまにか、人とコミュニケーションをとることに

向かい合いたくなっていました。

 

地球の限りなく北側に向かい、思ったのは

たぶん、本気を出したら行けない場所はないんだということ。

わたしたちは宇宙にいくし、深海数千メートルにもいけてしまう。

行くか行かないかは、自分が決めるんだ。ということでした。

 話すと長くなるので、この話は、また今度。笑

 

 

 

共働きの両親のもと、第二次世界大戦を子連れで生き抜いた祖母に育てられ

「苦労は買ってでもしなさい」が幼少期の愛言葉。

 

とにかく、自分の目で見て聴いて感じて納得しないと前に進めない人間です。

たくさんの人に助けてきていただいて、何とか生きてきたため、

人への感謝の気持ちと共感度だけは人一倍です。

でも、人一倍、心が弱い人間でもあります。

 

3歳から18年間続けたクラシックバレエでは、竹刀でたたかれながら、

週に6回練習に通うこともありました。

周りが全国大会で優勝する中、わたしは悔し涙の記憶しかありません。

おかげで姿勢だけは今でもほめられます。

時々、トウシューズがなくなったり、パンツがなくなったり(笑)

女社会はここで学びました。

 

 

 

 

 

仕事でも、場づくりでも、対面でも、

「コミュニケーションってとても難しい。」と感じ続けてきて。

同じ空間にいるのに、全然気持ちが一つにならない。

「伝えたいこと」が伝わらない。

「理解したい」のに理解できない。

せっかく時間をかけて話したのに、何も生まれない。

伝わらないのは、自分の伝え方が下手だからだ。

そんなもどかしい思いをずーーーーーーっと持ち続けて来たときに

 

グラフィックファシリテーションに出会いました。

描くことというよりも、

目の前にいる人や場に寄り添い描くことでそこで大切にされていることを誰よりも大切にすること。

 

グラフィックを描く人はたくさんいるけれど、相手や場に寄り添って描けている人は多くないと気づきました。

場づくりや教育プログラム、心理学、組織開発、さまざまな知識があって初めて、その人、その場に適したプログラムや場づくりができる。

 

これまで経験してきた点が一気に結びついたこのグラフィックファシリテーション。このパワフルなツールは、人を癒す力や場を活性化したり一体化させる力がある。

 

人に寄り添えるようになるために、まずはこのツールをきちんと修得したいと思うのです。

 

そんなこんなで、自分の頭の整理もかねて、

ついにブログを始めることにしました。

 

文字にすると、普段話さないことが

でてきてしまいそうで、少しこわいですが。

そんなダメな自分も、まずは可視化することで、

変化するきっかけになることを願います。

 

 

おそらく普段は、築100年京長屋生活のはなしとか

猫のはなしとか

北海道のはなしとか

発達障害の話とか

イベントの話とか

マニアックな昆虫の話とか

しょうもないことが大半だと思いますが、どうぞよろしくお願いします!

 

 

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