大切なものをたいせつに

北極海航海に2度いくほど海が好き。 疑問に思ったことは自分の目で見て感じて確かめたい、と17歳でイギリスに1年間滞在、その後、北極海研究船に2度乗船する。メーカー勤務、大学勤務の中でその場で「話の見える化」を行うグラフィックファシリテーションと出会う。会議、ワークショップ、講演会、教育現場等、これまでに500以上のの現場に携わる。発達凸凹への活用を中心として、組織開発や教育現場での活用法を探求している。 https://www.tagayasulab.com/graphicfacilitation

死ぬまでが一生

父が他界して7日が経ちました。

 

不器用で口数が少なく、友達も決して多くない。

頑固な上に、優しすぎて、

家族のために自分に合っていない仕事を辞めずに最後まで働き続けてくれた人です。

世の中を変えるような行動を起こした人でもなければ、

普通の教員でした。

 

最後は、1人で、自宅の床の上で倒れて死にました。

駆けつけた時には冷たくなっていて、最後の言葉なんてものもありません。

 

よい人生だったかどうかなんて、

本人にしかわかりません。

 

でも、私は、

3人の娘は

父が大好きでした。

 

我が家は親族が40人以上います。

高齢出産で誕生した私は、いとこの中でも下から2番目で、

父と過ごした時間が短いです。

 

物心ついたときから、

「遅く生まれた私は、父といれる時間は短いんだ」

と思いながら過ごしてきたので、

自由な生き方をさせてもらいながらも、いつも心のどこかで覚悟をしていました。

 

8年前に、癌を患ったときには、

限られた時間が迫っていることを考え始めました。

 

5年前、父が笑わなくなったときには、

後悔しないように、働く場所は家族の近くに。

何かあったときに飛んでいける職場にすることにしました。

 

居酒屋にも2人でよく行きました。

去年は、仕事を辞めるタイミングで、父の好きな知床に、2人旅にも行きました。

 

元気なうちに花嫁姿を。と、

まだまだこれから自由にやりたいであろう夫に無理を言って

結婚式も挙げました。

 

 

でも、やっぱり、

世界に一人しかいない「父」に、触れられなくなるのは

寂しいです。

 

 

 

早くから親の死を意識しながら、両親を喜ばせるために

瞬間瞬間を全力で過ごしてこれたのは、

私にとって一度きりの人生を大切にするよい機会となりました。

感謝しています。

 

 

父が死んだと連絡があった時、

胸のあたりがグッと押さえつけられたようで、悲しみがこみ上げました。

 

そして、すぐに、寂しさに変わって、

 

その後、冷たくなった父の身体に触れる頃には、

父の記憶が失われてしまうことへの恐れに変わりました。

 

と同時に、

自分の感情よりも、伴侶として長い時間を過ごしてきた母が何よりも心配になりました。

少し前の私なら考えられなかった感情。

自分にパートナーができたことで、

パートナーを失うという事の悲しさや寂しさ、恐れ

今までになかった感情を感じるようになったからだと思います。

 

 

 

大勢の親戚中が集まり、父の兄弟から、

私の知らない父の話をたくさん聞くことができました。

うれしかった。

でも、私は記憶力がとても悪いです。

父との思い出を忘れたくないのに、忘れていくのは明らかです。

 

だから、迷った末に、父の一生をグラフィックにかいてみることにしました。

聞いたことを忘れないように、聴いたことを、部屋の隅でグラフィックに描きとめました。

 

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18歳の時にパイロットの試験に合格していたらしいです。

学生の頃は生徒会長をしたり、

下駄箱にラブレターがよく入っていたらしいです。

みんなが注目する体操選手だったらしいです。

 

私の知っていた父は、教員でした。

家族のために働く、

口数の少ない、

寡黙で人付き合いの苦手な不器用な人でした。

本人は、一言も昔の自慢をしなかった。

 

私の記憶が薄れないように、

残された母が寂しくないように、

グラフィックがこんな形で役に立つと思いませんでしたが、

お線香をあげにきてくださる方々に、

グラフィックを指さしながら思い出を話す母を見て少しほっとしています。

 

 

悲しい出来事が合ったときに、そばにいてくれたり、

協力し合える姉妹がいること。

姉たちに感謝しています。

 

父に花嫁姿を見せるために、

一番自由を楽しむ年齢に結婚式をあげてくれて、

父が倒れた時にも、仕事が忙しいにも関わらず一番にかけつけて、

ずっとそばにいて助けてくれた

夫に感謝しています。

冷静に片付けや準備をしてくれて、同世代としてなかなかできることではないです。

尊敬しています。

 

 

いろんな別れがあると思いますが、

人を大切に思うのに、一緒にいた時間の長さは関係ないと感じました。

 

 

 

父の人生は決して華やかではないし、

世界中の人に知られることはないけれど、

時代を超えて、

私が深く引き継いでいきたいと思います。

 

まだ、実感はありませんが、

この数年間、

大切な家族を大切にするために、

何かを選択する際には、いつも頭の片隅に合った父の存在。

いなくなり、これから、少しずつ、選択する際の優先順位が変わっていきそうです。

 

家族や親族、励ましてくださったみなさま、ありがとうございました!

また、明日から前に進んでいきます。

 

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