障がいのある方のサポートとしてのグラフィックレコーディング
障がいのある方のサポートとしてのグラフィックレコーディング。大阪市立大空小学校の木村元校長先生の講演。ずっと温めてきた場づくり、ひとつ実現して動き出しました!
わたしは自分の名前ぐらいしか手話はできません。だから聴覚障害の友人とは、私の口元を読みとってくれることを頼みにコミュニケーションをとってきました。
ファシグラをはじめてから、
「手話はわかる人としか使えないけれど、これを使うとみんなの対話に入れていいね」
とよろこんでくれたことが頭から離れなくて、
手話のかわりに活用できるようにしたいなぁと何度となく思っていました。
だから、臨床心理士のいわいさんから、障害に携わる教職員が集まる研修会で、ファシリテーショングラフィックをかいてほしいと言われたとき、本当に必要とする人のために描けるチャンスなんじゃないかと背筋が伸びました。
今回、事前に何度も話し合いながら、グラフィックをスクリーンに映し出す方法で、リアルタイムに話の内容を描いて講演会の理解を深めるサポートとして行いました。
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滋賀県高島市障がい者自立支援協議会研修会で、『「みんなの学校」が教えてくれたこと』というタイトルで、みんなの学校の映画上映会と、あの木村校長先生!の講演会が企画されていました。人気の講演会、150名の予定をしていた会場に200名近くの方が集まっていました。
前半で、映画「みんなの学校」を上映。後半は、みんなの学校の舞台となった大阪市立大空小学校の元校長、木村泰子先生の講演でした。
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大空学校は、「みんなでつくるみんなの学校」を合言葉に、障害をもった子供も子供も持たない子供も一緒に学ぶ学校です。
「地域の学校って誰のもの?」
木村先生のお話は、こんな問いかけから始まりました。大阪市立大空学校立ち上げ時、の8種のさまざまなバックグラウンドの教職員24,5人が10年先に必要とされる学校について話し合ったそうです。
でも、誰も意見が出なかった。
そして、「学校のこんなところは良くない」を出し合うことにすると次々に出て来たそうです。意見が。
そして、「先生がメインとなっている学校はぜったいに良くない」という考えにたどり着きました。
主語を「先生」から「子供たち」に
暴言を吐く子どもがいたとき、その子をクラスから排除しようとするのは先生の都合ではないでしょうか。
主語を「子供」にして、子供のことを考える。その子がどう感じているのかが大切であって、大人がどう思うのか、大人がどうするのかは関係ありません。教員の存在する意味は「安心して過ごせる学校にすること」でありそうすれば、自ずと子供たちが主語になるはず。
そんな風に、小学校の理念「すべての子供の学習権を保証する」を大切にしていった結果、木村先生が務められていた9年間の間に、いじめられたり、先生の言うことを聞かないといってせめられたり、他と違うからと発達障害のレッテルを貼られ、学校に通えなくなっていた50人以上の子供たちが、大空小学校に転入してきました。
子供たちは地域の宝
クレーマーを言ってきた親はゼロ。そして、地域の宝である子供たちのために教育に携わるサポーターは増える一方だそうです。教員だけでは気づけない子どもたちの変化や家庭に関する問題も、地域の人が知らせてくださります。
学力って何?
木村先生たちは、学力を2つに分けています。
見える力(=能力)
見えない力(=人間力)
特に、見えない力は、なりたい自分になるために必要な力です。
このような力を伸ばすために4つのことを大切にされていました。
1.人を大切にする力
2.自分の考えをもつ力
3.自分を表現する力
4.チャレンジする力
これらを子どもたち一人ひとりがどのように習得していくかがを考えた時にじゃまになる子どもは一人もいません。
「差別」や「いじめ」、はじめから子供は持ち合わせていない
差別やいじめなどは、大人がするから子供にも存在するようになります。そして、障害をもった子どもを「支援しているこども」というのも
勝手に大人が「支援している」思っているだけで子供にとってはそれが当たり前だったり自然なことだったりします。
障害はなおすものでも何でもない
障害を持つ子どもを除外することで、子どもたちが失っているものの大きさに私たちは気づくべきです。彼ら彼女たちと過ごす中で多くを学び成長するのは周りにいる普通と言われる子どもたちであったり教員です。
他の学校では通えなかった子どもたちが、大空学校では、自分から通えるようになったり、学力の話では、全国学力調査でB問題(考える力)は全国1位の秋田県の平均を越す結果となったそうです。
障害をもった子どもだからできることや、優しさや、周りの子どもたちに与える気づきや考える力。彼らを除外するということは、そんな大切な機会を奪うことになります。
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全部は紹介できませんが、心に響くお話がたくさんある時間でした。ここで聞いた話はグラフィックファシリテーションを続ける上でも共通するところがあるように感じました。
あーよかった。で終わるのではなく
自分ごととして落とし込んで考えていきたいと感じています。
今回の試み。
常にグラレコをカメラで撮影して、リアルタイムにスクリーンに映し出すので、後から書き直せない状態での一本勝負。90分を手話のかわりに残すには腕が足りなかったし、最後の振り返りにも使えるようなレベルで描くのは至難の技でした。だいたいの苦戦シーンは予想でいていたはずですが、実際にやってみると、思っていたよりももっとよくできそうで、意外と工夫次第でもっと良くなる気もしていたり、ポジティブな自分がいます。
障害があるのは社会側。
障害を感じさせない場づくりができるように、たくさん失敗しながら、まずは1つの手段としてとことんグラフィックファシリテーションを探求してみようと思います!