京都精華大学でグラファシの授業。芸術について対話したら
京都精華大学、発展ことば演習で、グラフィックファシリテーションの授業を持たせていただきました!
ことば演習の学生さんは、前期からすでに何度かグラレコについて学んでいて。授業を取りまとめておられる西本先生が「これは、学生にとって必要なコミュニケーションツールだ!」と感じられて、大学の授業の中で取り組まれるきっかけになった「描くことを通じたコミュニケーション」。
今回、授業の中で、実際にグラフィックファシリテーションを実演しました。テーマはこちらから決めることもできたけれど、その場に集まった学生が話したいことを話せるようにしよう、と、実演の際のテーマは、学生さんたちに自分で決めてもらうことにしました。
終活!オカルト!死んだ後の世界!Twitterについて!と、なかなか自由なテーマが一通り出てきて、どうなるかな?と、ドキドキと楽しみにしていました。
そして。「芸術について」に最終的に決まりました。
「芸術は○○だ!」「○○か○○じゃないの?」「どっちがいいの?」と、
断定したり、白か黒のどちらか選ぼうとしたり、はっきりしなくてもどかしい気持ちがでていたり、自分自身の価値観の出る言葉がはじまりでは紡がれていました。
空気が変わったのは
「芸術は命をかけるものだ」
と、心の声を言葉にした男子学生の言葉が教室に響いた瞬間。
そこから、一気にそれまで話していなかった子達からも、「とはいえさ…」「…うまく言葉にできないよ」「お金は汚いの?」「昔はお金を払う人がいてから生まれる芸術があったよね」「お金がないとそもそも生きていけないよ」「私はお金の枠の中でデザインすることも楽しいよ」
といった、これまで話してみたかったけど言葉になってこなかった疑問や本音が言葉になって紡がれ始めました。
そのあと、教室の約30人全員で、それまでの話をきいて印象的だったところ、思ったことに描き込む時間をとりました。
この時間がわたしはとても好きで、全体の対話では話さずにじっと聞いていた子達が、対話の証人としてそこにいたことで、感じたことを一生懸命書き込みにくる。そして、声の大きかった子や、自分の持っている「○○だ!」という思い込みを抱えた子達が、自分の言葉を絵として眺めることで、視点の変換がおきる。
描き終えた後、この描き込みを元に、全員でもう一度対話をすることでさらにここにいる学生たちだからこそ話したいこと、気づいたことを紡ぎました。
時間の都合上、たった30分程度しか時間が取れなかったのですが、それでもたくさんの気づきがあったようです。
全体の対話の後、3人で1組で「芸術とは」をテーマにストーリーテリングトリオをしました。
グラファシの仕事で、大人たちの会議に入るとよく「仕組みづくり」や「規則作り」に話がいきます。そこに気持ちがないと、どんな完璧な仕組みでももろく崩れてしまうので、グッと気持ちや想い、本音にとどまってもらえるように描き続けます。多いときは20枚くらい描くときもあります。
今回みたいに、ストレートな一人ひとりの「想い」や「価値観」が紡がれていく話を描く場に居合わせると、自分が、多くの大人たちが失ってきた大切なことの大きさに涙が出そうになります。
よく関西人が使う「◯◯なんちゃうかな(◯◯には話しての大切な本音が入る)。知らんけど」
という「知らんけど」の威力の大きさといったら。笑 本当に話したいことを、大切なことを、もやもやしたことにとどまることが居心地悪く感じたり、他の人に嫌がられることに感じたり、真剣な人がバカにされるかもしれないという空気を変えていきたい。その一つの手段としてグラファシはとってもパワフルです。
もやもやは、その人の大切な価値観に触れているからもやもやするんだし、ダメなことみたいに蓋を閉めずに、向き合える場がもっと増えたらいいなと感じています。
コミュニケーションスキルの一貫として「描くこと」に注目して、良いと思ってからすぐに大学の授業に導入された西本先生が本当にすごい。こういう推進力のある方がいるおかげで教育現場が変わるんだな、って感じて憧れます。
来年からは、京都清華大学のことば演習の授業担当の一人として関わらせていただくことになります!錚々たる先生方の中にいれていただくので、ご縁をくださった貞國先生に感謝して、背筋を伸ばしていきたいと思います…。