組織の隔たりと本音と見えてる世界。
この2日間と今日の3日間でお世話になった黒ペンたち。
全国8社、24回の管理職WS。半分まできました。この3日間は、課長さんからみた上司の姿と、上の方からみた部下の姿の食い違いがあって、もやもや・圧・ヘドロ・モンスター像が膨らみすぎて、上にも下にも壁や隔たりができていたところへの対話。お互いの歩み寄りを生み出してありたい姿を描くという時間。
「本音なんて絶対無理」と言っていた方から「70%ぐらい話せちゃったわ。ありがとう。話したことが同じ速度で絵になってくから、私が話したことがどんな絵になるんだろうって楽しみになっちゃった。」
大切なものが大きいほど、人とぶつかるし、自分を守るために無自覚のうちに他責になってしまったりする。でも、絵を描いて客観的にみて、対話のプロセスを眺めていくと、自ずと、じわじわと、自分の見ていた世界が「正しいけれど、一部としてだけ正しくて、他の見方もあるのかもしれない」と気づく瞬間がある。みんな、ほんとは、よりよくしたいと願ってるだけ。私にできるのはそれを信じて描いて問い続けることだけ。
全てのワークショップに入ってオーガナイズから、グラフィッカーの取りまとめ、当日のコファシリまで努めてくれている鈴木 耕平、ご縁をありがとう。
本音で話すなんてムリ。と何十年と「上辺」の着ぐるみ(演技をする自分)を着て生きてきた私だからこそのこだわりがありまふ。
そして、本音を一瞬だけでも話せたと感じる経験を過去に私にくれた人との出会いが今の原動力になっています。
全部じゃなくていい、自分が伝えたいと思っている範囲で本音を出して、受け取ってもらえた、と感じた時のパワフルさを信じらているのは、コクヨ時代の上司だったり明石高専や北大、今のvisual practiceの仲間のみんなのおかげなんだと感じた瞬間。
本音で話してもらおうと思うと、私も本音で向き合わないといけなくて。
とっつけたような笑顔は通用しない。
未熟だし、まだまだ自分にウソもついてしまうし、頼りないけれど、頼りないなりに頑張りたいな、と思った時間でした。
対話は特効薬じゃないけれど、そして、目に見えないけれど。ボディーブローのようにじわじわ聞いてきて、その人のあり方に影響していく。
願いや思いは、今この瞬間花開くことはないかもしれないけれど、持ち続けていることで、少しずつ変化を起こしていくし、1年後、5年後、私が死んだ後に花開くかもしれないから。
そこにいる方々を信じて呼びかけて描き続けます。
だがしかし、この2週間、ほぼ立ちっぱなし、描きっぱなし、ファシリテーションしっぱなし。流石に右腕が動かなくなりそう。。!